飲食店のレジ横、商店の入口、空港の土産売り場。目にする機会は多いのに、なぜ猫なのかを説明できる人は少ない。招き猫を構成する4つの要素を整理する。

招き猫は、日本でもっとも知名度の高い縁起物のひとつです。飲食店のレジ横、商店の入口、寺社の授与所、そして空港の土産売り場。目にする機会は多いのに、「なぜ猫なのか」「右手と左手で何が違うのか」を説明できる人は少ない。
この記事では、招き猫を構成する4つの要素——挙げている手/色/小判などの持ち物/表情と姿勢——をひととおり整理する。個別の論点はそれぞれ別記事で詳しく扱うので、まずは全体像をつかんでほしい。

招き猫は、片手または両手を顔の高さに挙げた猫の像で、福を招く縁起物として飾られる。素材は陶器(常滑焼・瀬戸焼・九谷焼など)、張り子、木彫、近年ではレジンやソフビまで幅広い。
重要なのは、招き猫が神像でも仏像でもないことだ。寺社で授与されるものもあるが、基本的には民間の縁起物、つまり生活の中で自然に育った習俗である。だから明確な教義や公式ルールが存在せず、地域や時代によって解釈が違う。「諸説ある」が招き猫の基本状態だと思っておくと、以降の話が理解しやすい。
記録の上でもっとも古い招き猫は、嘉永5年(1852年)の江戸に現れる。『藤岡屋日記』には、浅草寺三社権現(現・浅草神社)の鳥居あたりで今戸焼の猫の人形が売られて評判になったことが記され、当時すでに「招き猫」「丸〆猫」という呼び名が使われていたことも書かれている。この丸〆猫の流行そのものは4〜5年で終息したとされるが、招き猫という形式はその後も作られ続け、全国各地でさまざまな変種を生んだ。
もっともよく知られた分類がこれだ。一般的には次のように語られる。
ただしこの説明は、比較的新しい時期に整理されたものと考えられる。江戸期の丸〆猫は右手を挙げた姿が多く、右手=金運という対応が当初から確立していたわけではない。「右は金、左は人」という覚え方は、招き猫が商店の縁起物として全国に広まる過程で、売り手と買い手の間で共有されていった実用的な区分に近い。
なお、両手挙げの猫を「欲張りすぎ」「お手上げに見える」として避ける人もいるが、これも根拠のある禁忌ではなく、語呂に基づく後付けの解釈である。
→ 詳しくは「右手を挙げた猫と、左手を挙げた猫。招く手の違いはどこから来たのか」
現在流通している招き猫の色と、一般に語られる意味は次のとおり。
| 色 | 一般に言われる意味 |
|---|---|
| 白 | 開運招福・万能 |
| 黒 | 厄除け・魔除け |
| 金 | 金運・財運 |
| 赤 | 病除け(疱瘡除けの伝統に由来) |
| ピンク | 恋愛・縁結び |
| 青 | 学業・交通安全 |
このうち、伝統的な裏づけがはっきりしているのは白・黒・赤の三色だ。とくに赤は、江戸期の疱瘡除け(赤い色が疫病を退けるという信仰)と結びついている。金・ピンク・青などは近代以降、贈答需要に合わせて増えた色と考えるのが自然だろう。
黒猫を不吉とする感覚は西洋由来のもので、日本では古くから黒猫は魔除けとされてきた。海外の顧客に説明するとき、ここは誤解が生まれやすいポイントになる。
→ 詳しくは「招き猫の色は何色ある?白・黒・金・赤それぞれの意味」
多くの招き猫は小判を抱えており、そこには「千萬両」と書かれていることが多い。千万両は実在した貨幣単位ではなく、額として想像できる限界を示した誇張表現である。江戸の庶民にとって千両でも一生かかっても手にできない金額であり、その一万倍を書いた時点で、これは金額ではなく願いの強さの表明になっている。
首輪と鈴は、江戸期に飼い猫につけられていた実際の装いを写したものだ。裕福な家の猫は赤い首輪に鈴をつけており、それが縁起物の意匠として定着した。
対照的なのが豪徳寺の招き猫である。豪徳寺の「招福猫児(まねきねこ)」は小判を持たず右手を挙げており、これは人を招いて縁をもたらすが、福そのものを与えるわけではない、縁を生かせるかどうかはその人次第、という意味だと説明されている。持ち物がないことに意味がある、という珍しい例だ。
→ 詳しくは「小判に書かれた「千萬両」は、いくらのつもりだったのか」
招き猫の起源を名乗る場所は、東京だけで複数ある。
豪徳寺(世田谷区):鷹狩りの帰りに寺の門前の猫に手招きされて立ち寄った彦根藩主・井伊直孝が、雷雨を避けられたことに感動し、寺を支援して寛永10年(1633年)に再興したという伝承。以後、福を招いた猫を「招福猫児」と呼んで祀るようになった。

今戸・浅草(台東区):先に触れた嘉永5年の記録。貧しさから愛猫を手放した老婆の夢に猫が現れ、「自分の姿を人形にすれば福徳を授かる」と告げたので、その姿を今戸焼にして浅草寺境内で売ったところ評判になった、という話が『武江年表』『藤岡屋日記』に見える。

自性院(新宿区):太田道灌が戦の際に猫に導かれて危機を脱したという伝承を持つ。
このほか、吉原の薄雲太夫と愛猫の伝説なども招き猫の原型として語られることがある。どれが本当か、という問いの立て方はあまり生産的ではない。猫が人を招いて福をもたらすという発想が、複数の場所で独立に語られていた——それが招き猫という習俗の広がりを示している。
→ 詳しくは「発祥の地は三つある|豪徳寺・今戸神社・自性院の由来を突き合わせる」
置き方にも厳密な決まりはないが、実用的な原則はある。
商売用なら店の入口、家庭用なら玄関やリビングが一般的だ。風水と結びつけた方角の指定を見かけることがあるが、それは中華圏で招き猫が受容される過程で加わった解釈で、日本の伝統的な作法とは別系統のものである。
招き猫を読み解く鍵は、「決まりが少ない」ことそのものが特徴だと理解することにある。手の左右も、色の意味も、置き場所も、時代とともに商いの現場で整理されてきた実用的な取り決めであって、動かせない教義ではない。だからこそ、素材も造形も自由に更新され続け、今日まで形を変えて生き延びている。
この記事の続き
– 右手と左手の違いはどこから来たのか
– 招き猫の色は何色ある?
– 発祥の地は三つある
KAZARU STUDIOは、招き猫のアートトイを製造販売しています。また浅草では招き猫のギャラリー併設の販売店舗をかまえています。
江戸の丸〆猫が生まれた浅草の地で、伝統的な造形を現代のアートトイとして再解釈した招き猫を制作・販売しています。店舗では実物を手に取ってご覧いただけます。