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招き猫の基礎 2026.09.05

招き猫はどこで生まれた?発祥の地と「5つの起源説」を徹底検証

「招き猫はどこで生まれたのですか」。この質問に、現在も一つの答えはありません。招き猫には複数の起源説があり、それぞれに寺社の伝承、土地の記憶…

招き猫はどこで生まれた?発祥の地と「5つの起源説」を徹底検証

「招き猫はどこで生まれたのですか」。この質問に、現在も一つの答えはありません。招き猫には複数の起源説があり、それぞれに寺社の伝承、土地の記憶、焼き物の歴史が重なっています。

大切なのは、「最も有名な伝説」と「史料で確認できる最初期の例」を分けて考えることです。ここでは代表的な五つの説を見ていきます。

1. 豪徳寺説|猫が井伊直孝を雷雨から救った

東京都世田谷区の豪徳寺に伝わるのは、彦根藩主・井伊直孝と猫の物語です。直孝が寺の門前を通りかかった際、猫に手招きされるように寺へ入りました。すると雷雨が起こり、猫のおかげで難を逃れ、住職の話も聞くことができたとされます。その縁によって豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、栄えたという伝承です。

豪徳寺では猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼びます。境内に奉納された数多くの白い猫は、小判を持っていません。猫が福そのものを与えるのではなく、人との縁や機会を招き、結果を生かすのは本人であるという考え方が表れています。

2. 今戸の老女説|夢に現れた愛猫

浅草・今戸には、貧しさから愛猫を手放した老女の伝説があります。夢に現れた猫が、自分の姿を人形にして売るよう告げたため、老女が今戸焼で猫の人形を作ったところ評判となり、暮らしが立ち直ったという話です。

この物語は、浅草の庶民文化と今戸焼という土地の産業を結びつけています。ただし、現在の今戸神社と伝説との結びつきについては、後世に整理された要素も含むため、史実として断定せず「今戸地域に伝わる説」として紹介するのが適切です。

3. 丸〆猫説|史料でたどれる浅草の猫

発祥を考えるうえで特に重要なのが、今戸焼の「丸〆猫(まるしめのねこ)」です。猫の背や体に「丸に〆」の印を持つ縁起物で、「福やお金を逃がさず締める」という願いが込められたと考えられています。

1852年の『武江年表』には浅草寺周辺で猫の土人形が売られたことを示す記述があり、同年の歌川広重「浄る理町繁花の図」にも猫の人形を扱う店が描かれています。丸〆猫は、招き猫につながる具体的な造形を、江戸末期の史料から確認できる重要な存在です。

4. 自性院説|太田道灌を導いた猫

東京都新宿区の自性院には、武将・太田道灌と猫の伝説が残ります。戦いで道に迷った道灌を一匹の猫が寺へ招き入れ、それをきっかけに形勢を立て直したという物語です。道灌は猫に感謝し、死後に猫地蔵を奉納したと伝えられています。

自性院の猫地蔵は、一般的な小判を持つ商売繁盛型の招き猫とは異なり、猫が人を危機から救い、正しい道へ導くという信仰を伝えています。

5. 吉原・薄雲説|命を救った猫の木彫

江戸・吉原の遊女、薄雲の愛猫にまつわる伝説もあります。薄雲につきまとう猫を不吉に思った店主が猫の首を切り落としたところ、その頭が薄雲を狙っていた大蛇にかみつき、彼女を救ったという話です。悲しむ薄雲のために客が猫の木彫を贈り、その模造品が売られたことを招き猫の始まりとする説です。

劇的で印象深い物語ですが、史実として確定した起源ではなく、吉原に伝わる説話として捉える必要があります。

結局、発祥地はどこなのか

一つの寺や一人の職人が、現在の招き猫を完成させたと証明する史料は見つかっていません。豪徳寺や自性院には猫が人を救う伝説があり、今戸には猫の土人形を作る技術と販売文化がありました。そこに商売繁盛への願いや、猫のしぐさへの信仰が重なり、19世紀の江戸で招き猫の姿が形作られたと考えるのが自然です。

招き猫の魅力は、発祥が一つに決まらないことにもあります。複数の町がそれぞれの猫の物語を守ってきたからこそ、招き猫は豊かな文化になったのです。


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